Messenger’s Rhyme


空想ルンバ/大槻ケンヂと絶望少女達

最近はもう少なくなってきたんですけど夜になると、そんで一人でいることを意識するとやはりどうしようもなく感情の波に飲まれてしまうのです。そんでさめざめと泣いてしまうのです。ヨヨヨ、と泣き崩れてしまうのです。これじゃあいかんなーと思いながらどうしようもなくなってしまうのです。さっさとこんな時期は終わって欲しいなぁ。

それはそれとして、まぁオレの一種のポリシーのようなものなんですけど。映画、音楽、漫画、小説、エッセイ、そのどれでもに持っている考え方なんですけど。とにかくそういうものたちのメッセージ性というものが嫌で仕方ないのです。エンターティメントはエンターティメント然としてあって欲しいと思うのです。あくまでもそれらは娯楽でありその域より外の効果を発揮する、というか受け手が勝手になんか受け取って悟った気になってんのが嫌でしょうがないんです。良い映画、良い音楽、良い小説というのはどれだけ世間と個人に受け入れられて「楽しませた」かに対する評価であって欲しいと思うのです。つまりそこにある娯楽は娯楽以上のものを持ち合わせず、内容について必要なメッセージはあったとしても他者にまで影響「される」ように作られたメッセージは余計だと思うのです。同時に受け取り手も送られてくる以上のメッセージを受け取るべきではないと思うのです。具体的に言うと「この映画で人生が変わった!」とか「この音楽のおかげで今まで見えなかったものが見えるようになった!」とかそういうことが嫌いで嫌いで自分はそうならないように最新の注意を払いながら色んなものに接しています。注意しなけりゃならないほど現代の娯楽には言葉が込められすぎてるんですっつーの。娯楽の「楽しい」っていう部分を削ってまで必要なもんだとはとても思えなくてしょうがない。

  • 昨日とか今日とか明日とかよくわからなくなってしまっている

なんだかそろそろ発狂しそうな予感に襲われています。
キャー!


ドット絵


キタン